今週末は韓国に出張予定。韓国が先行して使用している新しい機器について知り合いのドクターのところを訪問して色々情報を得てきます。当院で既にモニターを含めて治療は少し実施していますが、近日中に本格的に開始しますので、また報告致します。
今日のテーマ、「美しい顔」とは何でしょうか。
整った目鼻立ち、綺麗な輪郭を元に、全体のバランスが取れている、体で言うところのプロポーションが綺麗なことも条件の一つです。
医療関係者の間でよく言われる「マスク美人」。手術室の看護師さんを見て、凄い綺麗な人だなと思っていても、帽子・マスクを取ると、「あれれっ??」。
目がぱっちり(メイク)、鼻筋が通っていても、鼻先以下のバランスが悪く、顔輪郭もパーツの配置から見て整っていないと、全体としてみると真の美人顔ではなくなります。
とても失礼な喩えをしてしまいましたが、美容外科手術を受ける上で、これは重要です。一重の人が目だけ二重になれば美人になれるのか、必ずしもそうではありません。もちろん一重よりも二重の方が目がぱっちりはしますが、あくまで目がぱっちりするのであって、美人になるのではありません。
二重にしたことで美人顔になることも多いかもしれませんが、それはあくまでその結果が全体のバランスを良い方向に動かしたときです。
時に、過剰に目を大きくしたい希望や、鼻を高く、細くしたい希望があります。パーツで見たら綺麗かもしれませんが、全体を見ると、それではかえってバランスが崩れると予測される場合もあります。鏡を近づけて顔を見るのではなく、鏡を遠く引いて、顔全体を見て、どう形を変えればいいのかは検討するべきなのです。
美容外科で手術を受け、修正を希望して来院される患者様の多くが、鏡を顔に近づけて見過ぎなのです。細かいところにこだわるあまり、全体のバランスを認識しなくなっているのは良くないのです。
「フランス人形」のようになりたい、テレビに最近出ている話題の人がそう言っています。現実離れしているとは思いますが、まだ考えは理解できます(正しいと言っているのではありません)。全体として、そういうバランスになりたいということです。「鼻先をもっと細くしたい」というこだわりの方が怖い場合があります。小鼻の皮膚の厚みと鼻の穴の大きさとの関係もあり、ただ単に鼻先を小さくすると、鼻の穴が異常に小さくなることもあるのです。これは明らかにおかしな形です。
さて、美人の一般論について考えていきます。
そもそも美人の顔の定義は社会的環境、流行などがあります。極論として、昔々、日本では西洋型の顔というのは美人ではありません。二重よりも涼しげな一重、そう歴史の授業で習った人も多いのではないでしょうか。
人は社会性を持った動物です。ある一定の社会的普遍性の中で生きるのが得策です。みんなと違うより同じが良いのです。顔に点数を付けるとすると、分布で言うところの平均周囲から上が良く、下の方の分布に入りたくありません。しかし一方で、上の方の分布で極端にはみ出すと羨望の的となりますので、そちらを求める人もいます。ただ、コンピューターであらゆる人の顔の平均値を出して顔を合成すると、それが美人になるという報告があります。つまり脳内で無意識にでもそういう顔が美人だと認識するのです。
昔は日本人だけで考えれば良かったのですが、西洋の生活が入ってきて憧れとなり、西洋人型の顔が脳に認識されると、その分布というのは西洋人も含めたものとして考えていきます。平均は少しずれていくでしょう。また西洋型の生活によって、食事などによる顔の筋・骨の発達変化・理想とする体重による脂肪のつき具合の変化も生じ、日本人自体の平均値も変化していきます。メイクやヘアスタイルによる印象の違いも出てくるでしょう。全てのことが脳に擦り込まれ、徐々に美の基準が変わっていくのではないでしょうか。グローバル化の現在においては世界共通の美人顔ということになります。その中の一つに、以前も書きましたが、黄金比というバランスがあり、動物学的に人に限らずこれは美しいと感じるそうで、美人顔もこれを満たしていることが多いそうです。
ただ、細かい好みは異なるようで、アジアでも中国・韓国・日本では微妙に輪郭などの理想的バランスは違うというデータを見たことがあります。
また韓国では民族的多様性がなく、ほぼ一つの形態を美人として目指すので、美容外科によって仕上がる結果が似通ったものになる傾向にありますが、日本は韓国よりも元々民族的に多様な顔立ちのためか、目指す顔立ちには幅があり、美容外科によって仕上がる結果も様々になるそうです。
美容外科的に見た「美人論」、面白いですね。美容外科医それぞれが経験に基づく自身の見解を持つと思いますので、そういう話をまとめると案外素晴らしいアイデアが出てくるかもしれません。
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美人の条件とその変遷についての私見
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